牛タンとしみちゃんとカープと

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【埼玉大学付属小学校】の算数の授業を見て考えたこと

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「ワークショップのミニレッスンの質を上げるにはどうしたらいいか」「カンファランスで一人ひとりの子どもをどうみとるか」

その2点について考えるために、埼玉大学付属小学校の研究発表会に参加。


算数と国語をそれぞれ1時間ずつ見させてもらった。


算数の授業と国語の授業を見ることで、教科の違いに気づけたのが大きな収穫だった。算数の授業では、先生が子どもの発言に対して根拠を明確にしようとする姿勢があった。逆に、国語の授業では、算数の授業ほど厳密に根拠を問うことはしていなかった。算数よりもややゆったりとした姿勢。算数が思考力を高める教科だということが比較することでよくわかった。(先生の性格や、関わり方のくせなどは含んでいません。)子どもが抽象的に説明しがちなことを、算数では具体的に説明することを求めていく。「右の三角形より左の三角形の方が大きい。」じゃなくて、「右の三角形は5㎠で左の三角形は6㎠だ。だから左のほうが大きい。」という具体的な数値で説明することを求める。じゃあ図に描いてみてと、具体的に図に表すことも求める。抽象的なことを具体的に考えていく。数学は思考力を高められるというのは、そういうことなのかと思った。数字や記号は具体的に説明するために大変重要なものだということがわかる。


じゃあ、数字や記号すらない時代は、どうやって人に説明してたんだろう?

たしか数字が使われるようになる前は、記号を使っていたんだっけ。

記号が生まれる前に言葉はあったのか?記号の前はウホウホか?(この疑問はちょっとここまでにしておくが、確かスタンホード大学のキースデブリン教授がここの部分について説明していた気がする。)

 

さて、国語と算数の授業の比較以外に、授業の中で、先生が子どもたちに話す言葉に注目してみた。「ほーほー」「それで?」「で?」「はい」「うん」「なって~」「どこを動かすの?」「どうして○○を使ったの?」「なるほどね」「本当に?」「多分?」「○○だったらこれだよね、じゃあ、○○じゃなかったら?」などの言葉を使っていた。子どもの言葉をこれでもかというぐらいに引き出してました。曖昧な表現に対しては具体的な説明を求めるという姿勢があった。僕がこの先生の授業受けてたら、ついつい喋っちゃうなあ。こうした子どもとの関わるときに使う言葉って、算数や数学を研究している人は積極的に使っている気がする。抽象的な説明を具体的な説明ができるようにしたいからなのだろう。カンファランスで大いに参考になる。

 


この日は文部科学省の教科調査官の笠井健一先生がきていた。

学習指導要領に込めた思いというか、学習指導要領の文章の意味を聞くことができた。

『思考力』と、『学習指導要領の目標』についての文部科学省の考えを聞くことができた。

まず『思考力』についてだが、数学的な見方・考え方は評価しなくてもいい、という話だ。問題解決の中で働かせればよいとのことだった。これは知らなかった。(自分が聞き間違えている可能性もあるので、まだ学習指導要領を深く読み解く必要はある)

『学習指導要領の目標』についてだが、「統合的・発展的に考察する」とか、「目的に応じて柔軟に表したりする」という言葉が入っている。これは、問題を解いたあとも発展的に考えようという意味だという。また、柔軟に表現とは、図などに表して具体的に説明することだという。(こちらもまだまだ読み込みが必要である)

 

授業を見ていて、画一・一斉授業のカンファランスと、ワークショップ授業のカンファランスはある点で異なることに気づく。

画一・一斉授業は、カンファランスに〆切が存在する(と、思っている人が多いだろう。)1時間の授業で到達する目標があるから、その時間でなんとかして到達させようとする。つまり、無理にでも引っ張りあげる形になる。しかし、ワークショップのカンファンランスは、子どもの今の様子をみて、一つずつできるようにサポートをしていく。つまり、1時間で無理なら、次の時間が使えるのだ。ここはワークショップの大きな強みなのだと思う。

 

「1時間で子どもをここまで到達させなければならない」という強い思い込みに支配されすぎないように、柔軟に子どもの様子をじっくりと見とってあげて、その子にあったサポートをしていけるようになりたい。

 


カンファランスは奥が深い