牛タンとしみちゃんとカープと

教えることや学ぶことについての自分の考えを言葉にします

【学芸大学付属小金井小】加固希支男先生の算数の授業を見て考えたこと

学芸大学付属小金井小で加固希支男先生の算数の研究授業に参加してきた。

 


算数ワークショップにおけるミニレッスンや、カンファランスにおいて、数学的な思考を高めるヒントが得られると思って参加。また、自分がしている算数の一斉指導と違うところはなんなのかを考えるためにも参加した。

 


加古先生の授業を参観して、【黒板で思考を共有するのはどういうことなのか。】【学習内容をおさえるというのはどういうことなのか。】ということに気づかせてもらった。

加固先生はみんなが内容を理解できるように、丁寧に授業を進めていた。その丁寧さは、問いかけを中心とした授業であることが要因なのだと思った。なかでも特に気になった問いかけがある。「◯◯ってどういうこと?」「◯◯ってどういう状態?」という問いかけである。発表してくれた人が言ったことの話の中で曖昧な部分があると、聞いていた人たちにも理解しやすいようにイメージにしてみたり、数直線に表してみたりしていた。一斉指導の中で学習内容をおさえるというのは、こういうことなのかと思った。

なんだか明石家さんまのような、話をしている人の考えを引き出す感じ。参観していた自分もすごく理解しやすかった。みんなが無理なく参加できる授業だなと思った。

自分の一斉指導はどうだろうと振り返ってみると、発表した人の発言を周りの人とじっくり確認することって、そんなに意識してなかったと反省。

 


さらに、加古先生の授業では、いろいろな数学的な思考が刺激されていたことに気づく。いくつかの選択肢から答えを予想すること、そしてその理由を考えること。自分が知っていることから自分の考えを図や表に表すこと。考えている対象を記号や数字や文字などに置き換えること。他の人のとの違いから学ぶということ。きまりやパターンを見つけ出すこと。などなど、僕が見えていたのはこのぐらい。見る人によってはもっとあるのだと思うが。こうした数学的な思考は、黒板を使うことで、みんなに共有されていると感じた。これを子どもとマンツーマンでできないかと考えた。

 


では、こうした数学的な思考をのばすことを、一斉指導だけはなく、子どもたちが学び合う中で育てることは出来ないか最近考えている。数学的な思考を刺激し育てることは、先生の関わりが不可欠なのではないかとも最近思っている。子どもたちの学び合いでは、問題が解けたか解けないかの2つの価値しか生まれにくいことがあるから。やはり数学的な思考を高めるためには一斉指導の時間もあっていいと思う。では、子ども同士で学び合う中で、自分たちで数学的に考えられるようにはならないのか。僕は数学的思考を一つのサイクルとして、子どもたちに教えていくことがそれを可能にするのではないかと思っている。問題に対して、自分が知っていることとつなげたり、特殊な場合を考えてみたり、あるきまりを見つけたり、うまくいかなければ問題を変えてみたり、予想したことを証明したりということが、一つのサイクルの中に溶け込んでいて、それをぐるぐる子どもたちが自分でまわしていけるようになれば可能なのではないかと思っている。しかし、先述した通り、先生の関わりが数学的思考を刺激したり、育てるためには必要不可欠だとすると、いかに一人ひとり個別に関われるかが重要なのだろう。ワークショップにおけるカンファランスがそれを可能にするのではないか。そして一斉指導のよさをミニレッスンの時間でいかにぎゅっと凝縮できるかが大事なんじゃないかと思う。

 


加古先生の授業において、「◯◯ってどういうことなんだろう?」「◯◯ってどういう状況なんだろう?」と、子どもの数学的思考を高めるヒントをいただいた。僕はこれを集団に問いかけることと、個別に問いかけることのバランスを考えていきたいと思った。